~受け継ごう新島スピリット~
「同志社大学剣道部100年の歩み」より
天保14年(1843年) | 新島襄1月14日に上州安中藩江戸屋敷で生まれる。 |
嘉永6年(1853年) | 新島襄10歳剣術・馬術の稽古を始める。 |
明治8年(1875年) | 新島襄32歳同志社英学校開校。 |
明治18年(1885年) | 第1回同志社運動会が上賀茂神社で開催。 |
明治23年(1890年) | 新島襄46歳1月23日神奈川県大磯にて病気療養中逝去。 |
明治24年(1891年) | 野球部・漕艇部組織される。剣道・柔道・弓道が盛んとなる。 |
明治25年(1892年) | 剣道部が創立される。 |
明治28年(1895年) | 大日本武徳会が京都に設立される。 |
明治32年(1899年) | 大日本武徳会武徳殿が京都岡崎に建立される。 |
明治37年(1904年) | 奥村師範を招聘。この頃専門部生徒磯谷良之助が指導のもと剣道の活動が活発化する |
明治38年(1905年) | 第1回同志社剣術大会開催。剣道部の公式の創部とする。 |
明治45年(1912年) | 同志社大学開校。同志社剣道部、同志社大学剣道部、同志社普通部剣道部に分かれ出場。 |
大正9年(1920年) | 大学令による同志社大学(文・法・大学院・予科)開校。 |
大正11年(1922年) | 専門学校の再編成。剣道部、大学・専門部チームを編成。 |
大正14年(1925年) | 大学剣道部東都大遠征。小柳貫之師範以下選手11名参加。一橋商科大学・慶応大学・学習院・早稲田大学・東京高等師範・明治大学と対戦。 |
昭和3年(1928年) | 全日本学生剣道連盟結成。関西地区を代表して京都大学・同志社大学が幹事校に指名される。 |
昭和4年(1929年) | 岩倉に高等商業部を移す。翌5年専門学校高等商業部を同志社高等商業学校に改称。高商剣道部、分離して岩倉校地に移る。 |
昭和5年(1930年) | 第1回立教大学定期戦を京都で開催。大学本科・予科・高商合同チーム編成し勝利する。 |
昭和6年(1931年) | 同志社高商内に柔剣道道場「醇化館」建造。 |
昭和7年(1932年) | 同志社大学・立教大学学友会交歓大会京都で開催。競技12種目うち同志社7種目勝利。剣道部も勝ち抜き戦、江藤5人抜き、小牧・園部を残し勝利。総合優勝の同志社に米国大使杯授与される。 |
昭和8年(1933年) | 第6回全日本大学高専剣道大会で準優勝。 |
昭和9年(1934年) | 全日本学生選抜軍満州、朝鮮遠征。我が校より小牧健次郎四段・園部健吉四段参加。 |
昭和10年(1935年) | 「神棚事件」。高商武道場「醇化館」を再建。6月2日道場開き、剣道部員の単純な動機から新島襄の肖像に替え、神棚を祀る。キリスト教義と国家神道政策との対立となり、配属将校の引き揚げ問題等、軍国主義、軍部・文部省の干渉を受け、大きな社会問題に発展する。 |
剣道部の先輩湯浅八郎総長が軍部との交渉に当たったが弾圧され、その後総長辞職問題へつながる。 | |
昭和14年(1939年) | 全日本学生選抜軍満州遠征。関西地区より我が校の稗方暉輝以下7名が選抜される。 |
昭和16年(1941年) | 第14回全日本大学高専剣道大会が東京国民体育館にて開催。同志社大学準決勝戦にて武道専門学校と対戦し1対2で惜敗し3位となる。優勝は武専。出場選手は稗方暉輝・馬場健吉・堀田智彦。 |
春期京都学生剣道大会にて同志社高商西川定男選手が対三高戦において三将から大将まで八人を抜く。 | |
秋期京都学生剣道大会において同志社高商6対4で武専に勝利し、優勝。 | |
昭和18年(1943年) | 10月1日「在学徴兵延期臨時特例」布告。12月「学徒出陣」以降、在学生も勤労動員等にとられ、剣道部活動衰退し休部状態となる。 |
昭和20年(1945年) | 8月15日終戦。11月、占領軍総司令部(GHQ)の指示により武道禁止令発令。12月26日、学校施設での武道を禁止。剣道部廃部。 |
昭和23年(1948年) | 新制大学開校。神・文・法・経。24年4月商学部・工学部を新設。同志社経済専門学校(同志社高商)閉校し商学部に併合。 |
昭和26年(1951年) | サンフランシスコ平和条約締結。撓競技を同好者が集まり活動する。 |
昭和27年(1952年) | 「しない競技部」として剣道部復活。戦後初代師範として梅原貫靖先生を迎える。 |
戦後初、撓競技対抗戦が朝日新聞大阪本社講堂で開催。参加校は京大・同志社・関西大・関学大の4校。 | |
昭和28年(1952年) | 高野山で戦後初の春期合宿開催。8月、愛知県知多半島新舞子で夏期合宿。 |
中立売警察署道場等の稽古を経て、講武館道場倉庫で練習。本格的に剣道の稽古が復活。 | |
京都にて戦後初、慶応大学との定期戦を行う。 | |
第1回関西学生剣道大会で同志社大が近畿大学を決勝で下し初優勝。 | |
第1回全日本学生剣道大会出場。明治大学定期戦復活。 | |
同志社大学剣友会発足。 | |
昭和29年(1953年) | 第1回近畿地区大学剣道大会、剣道部門団体戦で優勝。 |
昭和30年(1955年) | 講武館道場老朽化のため解体移転。今出川校庭東部に新道場建設。 |
昭和31年(1956年) | 第4回全日本学生剣道大会・日米対抗剣道大会開催。同志社大より佐伯博之選抜出場。 |
本大会の準決勝にて明治大に1対3で破れ3位入賞。 | |
昭和34年(1959年) | 同志社大学新町校舎新設。校舎内に新道場建設される。 |
戦後の戦歴については別途に詳細を記載。「戦後の戦歴」参照。 |
明治25年に創部された時の写真が見つかりました!
京都新聞 2006年(平成18年)4月1日土曜日
『写真の裏面に記載されている名前』
1.広戸恒蔵(兵庫県出石) 2.中野利三郎(奈良県) 3.小森常三郎(滋賀県彦根) 4.有坂忠平(新潟県西浦町) 5.新野(不明) 6.羽生幾三(福井県大野) 7.河田(不明) 8.中村衡平(福島県会津若松) 9.和地永尭(京都府淀) 10.向舎(不明) 11.藤井久太郎(福島県会津若松) 12.南玲一(大分県宇佐)
1.広戸恒蔵(兵庫県出石) 2.中野利三郎(奈良県) 3.小森常三郎(滋賀県彦根) 4.有坂忠平(新潟県西浦町) 5.新野(不明) 6.羽生幾三(福井県大野) 7.河田(不明) 8.中村衡平(福島県会津若松) 9.和地永尭(京都府淀) 10.向舎(不明) 11.藤井久太郎(福島県会津若松) 12.南玲一(大分県宇佐)
明治38年に創部と定め昨年100周年の記念行事を実施しましたが、更に13年前の明治25年に既に創部されていたということが立証される貴重な写真が見つかりました。
詳細について地元の京都新聞社により、5段抜きで以下のように大きく報道されましたので紹介します。
なお、この写真は京都堀眞澄写真館で撮影されたもので、木戸孝允と親交の深かった広戸家から霊山歴史館へ寄贈されたものです。霊山歴史館で鑑定した結果、剣道部創立時に撮った写真と認定されました。写真のメンバー12名の名前と出身地が下記のとおり判明していますので、関係のある方がいらっしゃったら霊山歴史館のご好意で写真のコピーが頂けますので、事務局または霊山歴史館木村学芸課長までごお申込下さい。
霊山歴史館 電話:075-531-3773 月曜日休館